モノの消費からコトの消費に変化した訳のわからん時代への突入

どうも

シューリーです。

 

今回は、僕が素直に感じていることを書こうかなぁと思っている。

先日パートナーから

「君の人生哲学が面白いからそれが見たい!!」

と言う声をいただき、僕の人生哲学ってなんだろうなぁと

思いながら書いてみる。

 

最近いろんなことに疑問を持つようになり

世の中の流れをぼーっと観察している。

それだと事象の登場人物にはなれないが、大まかな事象の流れを把握するには

結構いい方法だ。

 

最近よく聞く以下の言葉

「生き方」

「在り方」

「好きなことで生きていく」

「自由(フリーランス)」

 

この言葉に疑問を抱くことが最近は特に多い

これらの言葉を克服し

自由に!!フリーに!!満員電車に乗らなくていい!!

そんな言葉を発言する人、目指している人

めちゃめちゃ増えた!もはや量産型並みに増えた!

 

この言葉に縛られすぎだ

 

なんて言いながら私もフリーランスなんだけどねw

 

量産型フリーランスが増えた結果サービスの品質は下がり続けている

コトの消費が激しいことも相まって

質が低くてもセミナーなどを開いて人が来る時代

時流に乗っていると言うべきだろう

 

上で述べた4つの言葉は、人生でめちゃめちゃ大事なことだと思う

しかしコンテンツにするべきではなかった。

 

だってそうだろ?

・生き方の見つけ方を習う

・在り方の見つけ方を習う

・自分の好きなことって何?

・縛られるのが嫌だ!だから自由という別の縛りの世界に行く!

 

これは、読んでくれているあなたに言っているのではない!

世の中に言っているんだ!!

 

生き方なんて生まれた時点で成長しながら俺が決めて行くし

在り方だって俺の好きにするよ!

好きなことなんていつだって出来るだろ?

生活に必要な事さえ済ませれば後は自由時間さ!!

 

要は、全ては俺が俺の人生を歩んで行く中で身につけて行くものなんだよ!!

 

それを習わないとできなくなったのはなぜだ

自分がわからなくなったのはいつからだ

 

そしてなんでもかんでもコンテンツ化して、、、

俺の人生のネタバレしようとするのはなんでなんだ

 

そう感じるようになっていった

 

なんども言うがコンテンツ化を否定しているんじゃない

コンテンツが必要な世の中を否定しているんだ

 

世の中のセミナー、コミュニティに不信感は募るばかりだ

 

その結果私は、

「全ての事を"決めない"と言うことを決める」

と言う決断をした

決断するのはいつも決断が必要な時の自分であって

今の自分が将来の自分に向けて

「俺はこう生きて行くからその生き方にあった決断をしろよ」

なんて決めない

 

ここまで書き殴って見て思ったのは、

私は、言語化できていないだけで

生き方、在り方はすでに決まっているのかもしれない。

それでも私は、それを言語化しない

言語化したら必ずその言葉にとらわれるからだ

どんだけ近いニュアンスでも必ず齟齬が生まれる。

感じている、それが重要だと思ふ

 

ただ一つだけ訂正したいのは、

私は今、強靭な精神力とある程度の頭の回転力を持っている

それは紛れもなく

これまで参加したセミナーや人との関わりの中で身に付いたものである

関わってくれた全ての人に感謝している